直接返信は怖いから
こっちで書いちゃおうっと^q^;;
ハッキリ記憶でもないけど
大阪の陣の前に、確か豊臣方は秀吉の慰霊祭かなんかを執り行って、それの大仏だかなんだかでかなり散財したはず。さらに、その時に作った鐘に文字を掘ったのだけど、なんだったっけな、検索する前に自分の記憶力で・・・
国家安康
みたいな文字を掘ったはず。
んで、これが「家康」の名前を分断させる呪いの意味を込めたという口実を徳川家の老臣たちに口実を与えてしまった。
検索。おっと、ナイス記憶力まだまだ覚えてるぜ^q^こっかあんこう。やったーあんこう。
結局財力は無いと世間に示したものの、淀さんの派手な生活や、大阪城の壮大さが目を見張り、一発旗揚げを狙った反徳川諸大名や浪人たちの夢に担ぎ出されただけだし大坂方は。忠誠も何もない。ただあるのは己がための功名心の為だけ。そのなかに雪村や島左近のような男気武将なもんだから、ホントよく光るもので。ゴミ虫うじゃうじゃのなかに、白鳥が舞っているようですね。
一向一揆に天才信長が10年粘られたと。
いや、信長さんが常に対峙してたわけでもなく。佐久間信盛なんかが対峙していて一進一退だった時も。確かに頑強だった一向宗門徒達だけど、信長から見たら京よりも向こう側であるし、その他の関東北陸の方を重点を置いていたのでしょう。だから別に第一目標で落とす必要は無かったとかなくなかったとか。
あ~返信怖い怖い^q^。;
[0回]
PR